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幼稚園スペインタイル 搬入 [幼稚園プロジェクト2013]

DSCF5629you.jpg(クリックで拡大します。)

DSCF5637blg.jpg
幼稚園スペインタイルお披露目会。
原画作者の子ども達へ、最初に白い布で覆われた絵タイル。じゃ〜〜んと、お披露目。(学級委員のママ達の壮大な演出!さすがです)

 みんなの食い入るような天使の視線。誇らしげな顔。
 pocoriは腰痛も吹っ飛ぶ、感動の瞳たちでした。

このような機会を与えて頂き、とても嬉しかったです。幼稚園ママたち、ありがとうございます!
次は、いよいよ設置です。もうひとふんばりっ。

さて、納品ですが、
当日納品は不可能と思われた矢先、大学時代の先輩ご夫妻が、トラックで駆けつけてくれました。
というのも、リアルタイムでFaceBookでのやり取りをしていたため、当日朝の電話で、「アレやな〜」と、大爆笑されました。

DSCF5631torak.jpg(クリックで拡大)

pocori一人では、机の上から降ろす事も出来ず、、、、
まさかの助っ人!ありがたい。
何十年も昔の学生時代に戻ったような一日でした。

さて、この作品を運んで下さった芸大時代の恩師ともいうべき先輩は、いまでいうスペインタイル(この温度、この色)の第一人者。創始者かしら。
日本での当時の芸大グループ。30年程前ですかね、1980年代の日本やアメリカでの現代陶彫のムーブメントです。 当時のグループの作家たちは、現在は芸大の先生や、ガラス作家や、クラフトパーク関係者やら、etcです。)

(今でもこの温度、この色をやっているのは当時のメンバーの中でpocoだけですが。当時、やり遂げれなかったので、まだやってます(笑)

(ただし、もっと古くは、大正から昭和初期の時代の京都。清水焼にも、この色たちが茶陶で焼かれておりました。芸大教授のお父様の時代です。)なので、日本におけるスペインタイルの創始者は、清水何チャラベエ数代前の職人さんや絵付け師(当然日本画家)。その後、1960年代に瀬戸の窯業地帯の伝統的技法として、名前などなく、全世界を制覇した日本のタイル産業の職人達か。 私も知りませんでしたが、1999年か2003年ごろに国際美濃陶芸コンクールで入賞かトップを取られた方の色が「あやしい」と、調べてみたら、瀬戸の工場の方で、技法名は「瀬戸に昔から伝わる技法」と言うてはりました。それって、この温度、しかも、ライン入り。なんだ、スペインタイルは日本の伝統産業だったんだ!(笑)ですが、瀬戸地区はヨーロッパ、アメリカへの輸出が盛んだったため、より門戸が広いわけですがね。(それも先の震災以降、ほとんどの工場が中国へ移転し、日本ではこの色すなわちこの温度の焼き物は作れなくなってきています。日本の公害規制が一番厳しいからです)
 
わたしもときどき、日本とバルセロナにおけるスペインタイルの第一人者とかっていわれておりましたが、恐れ多い。清水何チャラベエ何代か前の絵付け師やら瀬戸地区やら、、、陶芸技法なんてモノは、伝わり誰がどうのってもんじゃあないんです。
作品として作り続ける作家という点においては、そういうのもあるのかも。

私はタイル「制作」「製造」専科なので、「スペインタイル屋」の一人者ならOKですし、「バルセロナ」でも「この技法の作家」は、いなかったんで、いいんですが。
教室指導も、ヨーロッパの教室的で、みんなの作品が良いからいいんですが。(ビジュツのセンセーが本職だったんで(笑)
「日本の教室」としてのシステムは、まだまだ発展途上中ですがねっ(笑)

なので、pocoApocoのメンバーたち、それぞれが、自分流スペインタイル作家だよ。今回の幼稚園ママたちも、子ども絵スペインタイルアーティスト!!ですねっ
だって、ピカソだって陶芸知らずに、工房で立派な陶芸つくったんだもん。コラボレーション。人と人の力ですね。
  
さて、今回の助っ人は、1980年代の現代陶彫刻で、この色を研究されていた大先生です。 もちろん、鉛のことも、かなり研究されておりました。
自分でつかう「絵の具」だからです。日本の陶芸基準は世界で一番厳しいですし。 当時、瀬戸地区「窯業」がこの色を扱っていましたが、なかなか、「陶芸界」へは情報もなかった時代です。そんな時代にアメリカのMomaやMocaなどの作家たちと肩を並べるように制作されていました。

当時のアメリカの現代陶彫とも通じるポップアートな焼き物で、天井以上におおきな焼き物に、「スペインタイルの色」でやきつけた作品たち。
 ありがたいことに、私は、ポップアート全盛期の芸大に在籍していたのでした。 それから10数年後に行ったスペインで、この色と再会し、日本からの優秀な陶芸家たちが集まるバルセロナでは見向きもされなかった「軟陶』すなわちマジョリカ焼きやスペインタイルという分野ですが、私は大学の卒業制作からこの色いや3回生からこの色をやっていたので、すんなりとはまって行ったのでした。(ただし、日本の土は、1200度で溶けてなくなったりしませんがね(笑)。

また、当時の日本の陶芸界では、この温度は焼き物とは見なされず、焼成温度が高ければ高い程難しくなる訳で、そんな経緯で、この色好きな先輩諸兄は、みなさん苦労を重ねられ、アートシーンを牽引されていかれました。
後輩の私はほんとに幸運でした。芸大時代の焼き物に絵を描きたい!との思いは実現です。

てなわけで、当時の先輩諸兄に、学友たちに、この色を好きだったみんなに、学生時代にやりたかった色と、、今でも支えられて。
この日も!
なんだか、大学時代の卒業制作のあとのような、(卒園制作ですが(笑)、ものすごいプロジェクトだったような気がします。
みなさんありがとう。
そして、いよいよ、今週末は「設置」へと続きます。


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